Yngwie J Malmsteen

Yngwie J Malmsteen

Yngwie Malmsteen(イングヴェイ・マルムスティーン)は、スウェーデン生まれのギタリストで、ロック・ギターにクラシック音楽の要素を盛り込み、驚異的な速弾きでギター奏法に大革命をもたらしたミュージシャンです

 

 

< Yngwie Malmsteen(イングヴェイ・マルムスティーン)>

 

Yngwie(イングヴェイ)はスウェーデンのストックホルムで音楽一家の第3子Lars Johan Yngve Lannerbäck (ラーズ・イングヴ・ランネルバック)として生まれました

12歳の時に母親の旧姓であるMalmsten(マルムステン)を姓とし、それをMalmsteen(マルムスティーン)に少し変え、3つ目の与えられた名前Yngve(イングヴ)をYngwie(イングヴェイ)に変えます

 

 

< Young Yngwie Malmsteen(イングヴェイ・マルムスティーン少年時代)>

幼少期は末っ子という事もあり母親と祖母に甘やかされて育てられ、かなりわがままな性格だと後に家族が述べています。素行不良で学校にバイクで乱入するなどで結局学校には行かなくなり、祖母の家に住み込みギターの練習ばかりしていました


10代の頃はクラシック音楽、特に19世紀のイタリアの名バイオリニスト兼作曲家のニコロ・パガニーニや、バッハをギターでコピーするなど多大な影響を受けます

 

 

< Young Yngwie Malmsteen(イングヴェイ・マルムスティーン少年時代)>

また、この時期に最も重要なギターに影響を与えた Deep Purple(ディープ・パープル)のRitchie Blackmore(リッチー・ブラックモア)にも出逢うこととなります。コレはお姉さんからディープ・パープルアルバムの『Fireball(ファイアーボール)』と『Deep Purple in Rock(ディープ・パープル インロック)』をプレゼントされたからで、聴いてぶっ飛んだそうです

 

 

< Jimi Hendrix(ジミ・ヘンドリックス)がギターを燃やす Jimi Hendrix Crushes the Monterey Pop Festival – June 1967 >

リッチー・ブラックモアは大好きなイングヴェイでしたが、Jimi Hendrix(ジミ・ヘンドリックス)にはあまり興味が湧きませんでした。しかし、1970年9月18日のジミ・ヘンドリックスの死に関するテレビのニュース報道の中で、1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバルで、ジミがギターを叩き壊し燃やす映像が流れ、イングヴェイは「めちゃくちゃカッコいい!!」と思ったそうです

 

1982年初頭、1978年にリリースされた『Powerhouse(パワーハウス)』というタイトルのイングヴェイのデモ・テープを聴いたシュラプネル・レコードのマイク・バーニーが、イングヴェイをアメリカに呼び寄せ、Steeler(スティーラー)に加入させ、1983年のセルフ・タイトル・アルバムまで短期間プレイします

 

 

< アルカトラズのイングヴェイ(左端)とグラハム・ボネット(右から2番目)>

その後、元レインボーのGraham Bonnet(グラハム・ボネット)のバンドAlcatrazz(アルカトラス)に加入し、1983年のデビュー作『No Parole from Rock 'n' Roll』と1984年のライブアルバム『Live Sentence』に参加します

  

 

1984年にイングヴェイはアルカトラスと並行して自身初のソロ・アルバム『Rising Force』のレコーディングをします。ドラムにジェスロ・タルのバリー・バーロウ、キーボード奏者のイェンス・ヨハンソンを迎えます

 

 

< 1st Album『Rising Force』>

彼のアルバムは、アルカトラスのサイドプロジェクトであることを意味していましたが、結局、Jeff Scott Soto(ジェフ・スコット・ソート)がボーカルとして参加し、ソロと言うよりもバンド形態で『Rising Force』をリリースしました

 

 

< グラハム・ボネットとイングヴェイ >


リリース後にイングヴェイは、グラハム・ボネットとライブ中に衝突。諸説ありますが、ギターソロの長いイングヴェイに嫌気がさしたグラハム・ボネットがイングヴェイのギターのシールドを引っこ抜き、それに激怒したイングヴェイがグラハム・ボネットに殴りかかり、イングヴェイはその場でアルカトラスを解雇されます。代役は、イングヴェイとは違う意味での変態ギタリストのSteve Vai(スティーブ・ヴァイ)になります

 

 

< Steve Vai(スティーブ・ヴァイ)のAlbum『Passion and Warfare』>

スティーブ・ヴァイは、高校時代に音楽理論を全て習得し、バークリー音大卒のギタリストで、フランク・ザッパバンドの採譜とギターの演奏不可能パートを担っていました。イングヴェイのアルカトラスとヴァイのアルカトラスを聴き比べると、音楽性の違いは目を見張るものがあります

バンド形態でリリースした『Rising Force』はGuitar Player's award for Best Rock Albumを受賞し、グラミー賞の「Best Rock Instrumental」にノミネートされ、ビルボードアルバムチャートで60位を記録します

 

 

< 2nd Album『Marching Out』>

Yngwie J Malmsteen’s Rising Force(イングヴェイ・J・マルムスティーンズ ライジング・フォース)は次に『Marching Out』(1985年)をリリースします。イェンス・ヨハンソンの弟のアンダースをドラムに、ベースのマルセル・ヤコブをバンドのレコーディングとツアーのために起用しました

 

 

< 3rd Album『Trilogy』>

そして、マーク・ボールズをボーカル(マルムスティーンはギターとベース両方を担当)にフィーチャーしたイングヴェイのサード・アルバム『Trilogy(トリロジー)』は1986年にリリースされます。ボールズはツアーの途中でバンドを脱退し、元ボーカルのジェフ・スコット・ソートが後任となります

イングヴェイは翌年の1987年6月22日に、V12ジャガーEタイプを木に激突させる重大事故を起こし、1週間昏睡状態となりツアーはキャンセルされます。右手の神経損傷も報告され、一時的にギターを弾けなくなります。また1988年1月にイングヴェイの母親も癌で亡くなります。イングヴェイにとっては辛い時期となります

 

 

< 4th Album『Odyssey』>

イングヴェイは必死のリハビリによりギターも弾けるよう回復します。ただ多くのファン曰く、事故前の流麗さは失われてしまいます。しかし、イングヴェイの最高傑作言われる(本人は認めていない)4枚目のアルバム『Odyssey(オデッセイ)』(1988年)をリリースします

元レインボーの大物ヴォーカリストであるJoe Lynn Turner(ジョー・リン・ターナー)を迎え、セッション・ベーシストのボブ・デイズリーがベースパートの録音と歌詞の手伝いのために雇われるなど、新しいラインアップに変更されます。ファーストシングル「Heaven Tonight(ヘヴン・トゥナイト)」の成功もあり、彼にとって最も成功したアルバムとなりました

 

 

< Live Album『Trial By Fire: Live In Leningrad(トライアル・バイ・ファイアー:ライヴ・イン・レニングラード)』>

オデッセイ・ツアー中のソビエト連邦での公演(ロックバンドでは初公演)はライブレコーディングされ、1989年にライブアルバム『Trial By Fire: Live In Leningrad(トライアル・バイ・ファイアー:ライヴ・イン・レニングラード)』としてリリースされます。コレもオデッセイ同様すごく良いアルバムです

  

 

イングヴェイとヨハンソン兄弟による黄金期のRising Forceのラインナップは、1989年にイェンスとアンダーソンの両名が脱退したことで解散となってしまいます。

イングヴェイの新古典派スタイルのヘビー・メタルのギタースタイルは、1980年代半ばに大勢のギタリストに取り入れられ、ジェイソン・ベッカー、ポール・ギルバート、トニー・マカパイン、ヴィニー・ムーアなどの同世代のアーティストに顕著に見られました

 

 

< Frankenstein を弾くVan Halen(ヴァン・ヘイレン)のEddie Van Halen(エディ・ヴァン・ヘイレン)>

ただイングヴェイは、ヴァン・ヘイレンのフランケン(ヴァンヘイレンの自作のギター)を自分も欲しいという衝動を抑えるのが大変だったと後日語っています

  

 

イングヴェイ・マルムスティーンは、クラシック音楽のバイオリンのソロパートのようなフレーズを高速で演奏する第一人者です


クラシカルなギターソロで言うとディープ・パープル、レインボーのギタリストのリッチー・ブラックモアが有名ですが、イングヴェイの場合はヴァイオリンでの高速フレーズをギターで弾いてしまう速弾きお化けです

ギターはその構造上ピックを使って弦を弾くので、高速で演奏するには、右手と左手をシンクロさせないといけないので、美しくレガートに高速で演奏するのは非常に難しい

 

 

< Yngwie Malmsteen(イングヴェイ・マルムスティーン)>


彼の最初期のバンド「スティーラー」の“Hot on Your Heels”で、フラメンコ調のフレーズをアコースティックギターで高速で演奏し、エレキギターパートでもかなり速い

  

 

フラメンコ調のギターやマリアッチなどは、基本ピックを使わず指で弾くところ、フルピッキングで弾ききります。まだ若干19歳でこの演奏力はバケモノです

 

 

< スティーラーの裏アルバムジャケット >

またイングヴェイは高身長(190cm越え)で端正な容姿の持ち主で、スティーラーの裏ジャケットの写真は、ダブルのライダースも相まってキャプテン・ハーロックみたいでめちゃくちゃカッコいいです

イングヴェイはその奇行も有名で、日本ツアーの時もレストランで気に入らない食事をコックに投げつけたり、アルカトラスのライブ中にグラハム・ボネットに殴りかかったり、イングヴェイがパンテラとのツアーで、美女二人と肩を組んでホテルの向かうところを、全盛期のパンテラの連中にチャカされても「失せろ」と一喝(イングヴェイは喧嘩っ早い元不良)。イングヴェイはデカイのでアンセルモ達がすごく小さく弱そうにみえます

 

 

< アンダース・ヨハンセンとイェンス・ヨハンセン >

イングヴェイがスウェーデンから呼び寄せたイェンス(キーボード)とアンダース・ヨハンセン(ドラム)も一癖あります
ヨハンセン兄弟はイタズラ好きでいつも接着剤を持ち歩いていてなんでもくっつけちゃうし、マドンナおちょくってキレられたり、挙句の果てには機材車を崖から落として爆破もしてしまい、イングヴェイも怒るというより呆れちゃったようです。最近ではトイレを爆破しているようです

 

 

< マルセル・ヤコブ >

マルセル・ヤコブ(ベース)は、イングヴェイのスウェーデンの幼馴染ですが、根っからの大嘘つきだが憎めない奴との事で、イングヴェイのバンドに入ったり辞めたり、訴訟したり、また戻ったりと、病気により45歳で自殺してしまったのはなんとも言えない感じだったようです

そんなイングヴェイ自身も、アイアン・メイデンの努力家のボーカリスト、ブルース・ディッキンソンに「俺は元貴族なんだぜ」と言うと、ブルースは「だからなんだよ?」と、労働者階級出身でジャンボジェットのパイロットライセンスも取得して実際飛ばしているブルースからしたら意味不明の発言だったのでしょう。イングヴェイは激怒したそうです。一応本当に貴族(爵位なしの最下級)だそうです

 

 

< フェラーリに跨るウィングベイ>

イングヴェイはオデッセイ以降太り始めて一時期は首がなくなるほど太り美青年であった頃の面影が全くなくなっていましたが、現在はダイエットの効果もあり太り始めた頃に戻っています

日本では現在でも絶大な人気があり、日本を第2の故郷と呼んでいるそうです

 

 

Sludgeheadでは、そんなイングヴェイのTeeを取り揃えてあります

●激レアのMarching Out のツアーTee (バックプリントがめちゃくちゃカッコいい)

Yngwie Malmsteen "Yngwie J Malmsteen's Rising Force Tour 1985" Tee



●最高傑作のOdysseyのツアーTee

Yngwie Malmsteen's Rising Force "Odyssey Tour" 80's Vintage Tee

●アルカトラスの後任変態ギタリストのスティーブ・ヴァイが後に加入した元ヴァン・ヘイレンのボーカリストのデビッド・リー・ロスのソロバンドのTee

David Lee Roth "Skyscraper Japan Tour '88" Tee


●イングヴェイの幼馴染のギタリストのジョン・ノーラム在籍時のヨーロッパのツアーTee

Europe "In Concert" Tee

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