PANTERA

PANTERA

PANTERA(パンテラ)は、1981年に結成されたテキサス州アーリントン出身のアメリカのヘヴィメタルバンドで、現在はボーカルのPhil Anselmo(フィル・アンセルモ)、ベースのRex Brown(レックス・ブラウン)、ツアーミュージシャンとしてOzzy Osbourne Band(オジー・オズボーン・バンド)の3代目のギタリストZakk Wylde(ザック・ワイルド)とAnthrax(アンスラックス)のCharlie Benante(チャーリー・ベナンテ)で構成されています

 

<左から/Vinnie Paul(ヴィニー・ポール)、Dimebag Darrell(ダイムバッグ・ダレル)、Phil Anselmo(フィル・アンセルモ)、Rex Brown(レックス・ブラウン)>

 

このグループの最も有名なラインナップは、Abbott brothers(アボット兄弟)と呼ばれるドラマーVinnie Paul(ヴィニー・ポール)、ギタリストDimebag Darrell(ダイムバッグ・ダレル)に加え、1982年にベースRex Brown(レックス・ブラウン)、1986年にボーカルPhil Anselmo(フィル・アンセルモ)が加入した時のものでした

 

<1991年10月3日、カリフォルニア州ロサンゼルスのエアポート・マリオット・ホテルで開催された1991 Foundation Awardsにて>

 

90年代にグルーヴ・メタル(Extreme等)というサブジャンルの開発と普及に加えて、パンテラはTestament(テスタメント)、Sepultura(セパルトゥラ)、Machine Head(マシンヘッド)といった他のバンドと共に1980年代後半から1990年代前半にかけてのスラッシュメタル・シーンのセカンドウェーブの一部であると信じられています。パンテラはヘヴィメタル史上最も成功し影響力を持つバンドの一つとされ、世界中で約2000万枚のレコード売上を誇り、グラミー賞に4回ノミネートされています

 

<初期のボーカルTerry Glaze(テリー・グレイズ)とダイムバッグ・ダレル>

 

現在ではあまり知られていませんが、当初グラム(ヘア)・メタル・バンドとしてスタートしたパンテラは、リード・ヴォーカリストのTerry Glaze(テリー・グレイズ)と共に1980年代半ばに3枚のアルバム『Metal Magic(メタル・マジック)』『Projects in the Jungle(プロジェクト・イン・ザ・ジャングル)』『I Am the Night(アイ・アム・ザ・ナイト)』をリリースしますが、全く成功しませんでした

 

<アンセルモ加入後の1986年のPantera / 左からDimebag Darrell(ダイムバッグ・ダレル)、Phil Anselmo(フィル・アンセルモ)、Rex Brown(レックス・ブラウン)、Vinnie Paul(ヴィニー・ポール)>

 

アボット兄弟の音楽的趣向の変化によりヘビーで新しいサウンドを求め始めます。そしてパンテラは、1986年にフィル・アンセルモを採用し、1988年に4th Album『Power Metal(パワー・メタル)』をリリースします。彼らは翌年、メジャーレーベルのAtcoとレコード契約を結びます。何故かバンドはこれを正式なデビューアルバムと宣言している5th Album『Cowboys from Hell(カウボーイズ・フロム・ヘル)』(1990年)はグルーヴ・メタルというジャンルを一般化し、1992年の6th Album『Vulgar Display of Power(ヴァルガー・ディスプレイ・オブ・パワー)』(1992年)はさらにヘヴィなサウンドを実現、彼らの人気を高めます。そして、ついに7th Album『Far Beyond Driven(ファー・ビヨンド・ドリブン)』(1994年)はビルボード200で1位を獲得します

 

Pantera - Cowboys From Hell (Official Music Video)

(ヒットしたタイトル曲。グランジ好きからも支持されます)

 

 

Pantera - Mouth For War (Official Music Video) [4K]

(『Vulgar Display of Power』から大ヒット曲。この曲を持ってして超メジャーになったと言っても過言ではありません。当時、変拍子リフは珍しく弾けなかったキッズも多かったと思います。ベースドラムを強調した過激なイコライジングでレコーディングされたこのアルバムは今聴いてもなお新鮮です)

 

<痛みを抱えながらパフォーマンスをするフィル・アンセルモ>

 

1995年、ステージでの常に飛び跳ねる激しいパフォーマンスで背中を負傷したフィル・アンセルモが徐々にバンドメンバーから距離を置くようになります。そして怪我の痛みを和らげるためヘロインに依存するようになり、メンバー間に緊張が走るようになります(1996年7月にODにより心停止しましたが、奇跡的に意識を取り戻します)。このような緊張の結果、8th Album『The Great Southern Trendkill(ザ・グレイト・サザン・トレンドキル)』(1996年)のレコーディング・セッションは別々に行われることになります。緊張状態はさらに7年間続き、その間にレコーディングされたスタジオアルバムは9th Album『Reinventing the Steel(レインベンティング・ザ・スティール)』(2000年)1枚のみでした。Panteraは2001年に活動を休止しましたが、長引く論争により、2003年にバンドは解散します。アボット兄弟はDamageplan(ダメージプラン)を結成し、アンセルモはDown(ダウン)などいくつかのサイドプロジェクトで活動を続け、ベーシストのレックス・ブラウンもそれに参加します

 

 

<ダイムバック・ダレル>

 

2004年12月8日、オハイオ州コロンバスで行われたDamageplanのコンサート中、ダイムバッグ・ダレルが精神的に不安定なファンによってステージ上で射殺されます

パンテラの解散時期にフィル・アンセルモとダイムバック・ダレルの仲違いが絶頂になり、葬儀の際もアンセルモはアボット家から来て欲しくないとういう意向により参加出来ませんでした

ダイムバック・ダレルの悲劇的な事件についてフィル・アンセルモは公の場で声明を出しました

 

<フィル・アンセルモとダイムバック・ダレル>

 

“I love Dimebag Darrell because there was not one motherf***er like him, I love him like a brother loves a brother. my other brother. I’m so sorry to his family. I want to say bless his family [and] all of his close friends. I wish his family the least grief they could ever have, and I know it’s impossible. I never got a chance to say goodbye in the right way and it kills me, I wish to God I could’ve gone to his funeral, but I have to respect his family’s wishes, and they do not want me there. I believe I belong there, but I understand completely. I hope you’re happy, heavy metal music magazines, media, I hope you’re happy. I’m done.”

 

「オレはダイムバッグを愛してたんだ。もうヤツみたいなマザーファッカーは現れないって事だ。弟が兄貴を愛するように本当に愛していたんだ。オレのもう一人の兄貴(ヴィニー・ポールの事)、ヤツの家族には本当に申し訳なく思っているよ。ヤツの家族とヤツの親しい友人たちに神の言葉をかけたい。ヤツの家族の悲しみや痛みが大きくなりすぎない事を祈るけど、そんな事は無理なんだよ。しっかりとさよなら言う機会がなかったから、死ぬほど辛いよ。ヤツの葬儀に行ければよかったんだけど、ヤツの家族の意思を尊重しなければならなかった。ヤツの家族はオレがそこにいることを望んでなかったんだ。ただオレはそこに属していると信じてるよ、その事については確信している。ヘビーメタルの音楽雑誌、メディアのみんなに幸あれ。以上」

 

 <エディ・ヴァン・ヘイレンが納めたギターのエディ2>

 

ダイムバッグの悲劇の少し前に、ダイムバッグのアイドルでエディ・ヴァン・ヘイレンから彼の自宅に招待されます。そこでダイムは、エディにエディ・ヴァン・ヘイレン2(ギター)を譲ってくれないかと懇願しますが、エディは丁重に断ります。そしてダイムはエディ2のコピーモデルの製作を工房に依頼します。しかし、ダイムはコピーモデルを手にすることはありませんでした。ダイムの葬儀でエディはエディ2のオリジナルギターを持参し棺桶に納めます。エディは「オリジナルなギタリストには、オリジナルだろ」と述べました

 

<Hellyeah(ヘルイェー)のヴィニー・ポール>

 

ヴィニー・ポールは弟の死後、Hellyeah(ヘルイェー)を結成しますが、2018年に心不全で亡くなってしまいます。レックス・ブラウンとフィル・アンセルモが、このバンドの最も有名なラインナップの唯一の生存メンバーとなってしまいます

 

<Ozzy Osbourne Band(オジー・オズボーン・バンド)の3代目のギタリストZakk Wylde(ザック・ワイルド)>

<Anthrax(アンスラックス)のCharlie Benante(チャーリー・ベナンテ)>

 

2022年7月、レックス・ブラウンとフィル・アンセルモが2023年にパンテラを再結成し、パンテラの22年ぶりのツアーを行うことが発表されました。ギターとドラムはそれぞれアボット兄弟の代役としてザック・ワイルドとチャーリー・ベナンテが参加します。 新ラインナップは2022年12月2日にメキシコのHell and Heaven festival(ヘル・アンド・ヘブンフェスティバル)で21年ぶりのライブを行い、バンドの再結成ツアーは2024年も継続するとされています

ただ、ヴィニー・ポールがドラムで、ダイムバッグの親友のザック・ワイルドでの再結成が最善でしたが、ヴィニー・ポールは雑誌等でその件に触れられると、怒るというよりは、はぐらかしている感じでした。Damageplanはニューメタル的で、Hellyeahは80sハードロック、ただボーカリスト達はアンセルモを意識していると言わざるをえません。後期パンテラでのスラッジメタルやドゥームメタル解釈は、新たな次元に昇華させていたので本当に残念でした。普通スラッジメタルやドゥームメタルのバンドはあえてその範疇に留まりがちですが、パンテラはある意味(語弊があるかもですが)ブラック・サバスやサウンドガーデン同様に聴きやすいサウンドでした

 

 

Abbott Brothers(アボット兄弟)

 

<若かりしアボット兄弟>

 

ドラマーで兄のVinnie Paul(ヴィニー・ポール)は1964年3月11日、ギタリストで弟のDarrell Lance Abbott(ダレル・ランス・アボット)は、1966年8月20日、テキサス州エニスで、カントリーミュージックのプロデューサーであるJerry Abbott(ジェリー・アボット)とCarolyn(キャロリン)との兄弟として生まれます。アボット夫妻は17年間の結婚生活の後、1979年に離婚しますが、以前と変わらず彼らの家族関係は良好でした。兄弟はアーリントンのモンテレイ通りの牧場風の家で母親のキャロリンと暮らします。キャロリンは息子たちの音楽活動をサポートし、離婚後も父親のジェリーはこの地域に残っており、ダレルはしばしば自転車で父親のもとへギターレッスンにごく普通に通っていたそうです

 

<大好きなエディーとアボット兄弟/左からダイムバック・ダレル、Eddie Van Halen(エディ・ヴァン・ヘイレン)、ヴィニー・ポール>

 

兄のヴィニーはダレルが初めてギターを手にする前にドラムを始めていました。ダレルは以前からドラムをやりたがっていましたが、ヴィニーは後にこう語っています。「オレはあいつよりドラムが上手かったんで、ヤツには絶対触らせなかったんだ」。ダレルは12歳の時にギターを始めます。最初のギターはレスポールスタイルのHondoで、12歳の誕生日にPignoseアンプと一緒にプレゼントされます。Black Sabbath(ブラック・サバス)、Judas Priest(ジューダス・プリースト)、Kiss(キッス)、Van Halen(ヴァン・ヘイレン)に影響を受け、当時はギターを弾けませんでしたが、キッスのAce Frehley(エース・フレーリー)スタイルのメイクをしながら、自分の部屋の鏡に向かってギターを構えるようになります。ジェリーはダレルに演奏方法を教えるためにキッスの曲でギターを教えます

アボット兄弟の最初のジャムセッションは、6時間のDeep Purple(ディープ・パープル)の『Smoke on the Water(スモーク・オン・ザ・ウォーター)』でした。彼らはアレックスとエディ・ヴァン・ヘイレン兄弟からもインスピレーションを受けており、ヴィニーは2016年のインタビューで、「一緒に音楽を始めた時、ダレルとは切っても切れない関係になった」と語ります

 

<コンテスト優勝時のダレル>

 

14歳の時、ダレルはダラスのアゴラ・ボールルームで開催されたギター・コンテストに出場します。このコンテストには、ディーン・ギターズの創設者であるディーン・ゼリンスキーが審査員の一人として参加していました。ダレルは一人で出場できる年齢ではなかったため、母親がクラブに同行します。ゼリンスキーは「ダレルのギタープレイはみんなを圧倒したよ」と回想します。ダレルは他にも多くの地域のギターコンテストに優勝し、他の選手が勝てるようコンテストに出場しないでほしいという要望も上がったほどでした

 

<左からDonnie Hart(ドニー・ハート)、Vinnie Paul、Terry Glaze(テリー・グレイズ)、Dimebag Darrell、下からTommy Bradford(トミー・ブラッドフォード)>

 

パンテラは1981年に結成され、ヴィニーは、高校の同級生であるギターTerry Glaze(テリー・グレイズ)、ベースTommy D. Bradford(トミー・ブラッドフォード)、ボーカルDonny Hart(ドニー・ハート)と共にバンドに参加しないかと誘われます。ヴィニーはその誘いを受けましたが、ダレルもバンドに参加することが条件でした。グレイズは後に、「ダレルはあまりギターが上手じゃなかったし、2年後輩でちょっと痩せたガリ勉くんだったので、この依頼に正直迷ったよ」と回想していますが、最終的には承諾します。1989年、ダレルはDave Mustaine(デイヴ・ムステイン)からMegadeth(メガデス)への加入を要請された際にも、同じ要求をしました。ムステインはすでにドラマーのNick Menza(ニック・メンザ)を採用しており、ヴィニーを雇うつもりはなかったため、ダレルはパンテラに残ることを決めます

 

<痩せたガリ勉くんのダレルとグレイズ>

 

1982年になると、ハートとブラッドフォードがバンドを去り、ボーカルはグレイズと交代し、ブラッドフォードの代わりにレックス・ブラウンがベーシストとなります。ダレルは当初グレイズと2人でリードギターをしていましたが、すぐにリードギタリストとしての地位を確立します。後に、グレイズは「ダレルのギターの腕は6ヶ月の間に激変したんだ。彼は「Eruption(イラプション)」や「Crazy Train(クレイジートレイン)」のような曲を弾けるようになってたんだ」と語っています。ダレルはキッスの曲「Black Diamond(ブラック・ダイヤモンド)」にちなんで「Diamond Darrell(ダイヤモンド・ダレル)」というステージネームにします

 

<グラム・メタル・スタイルのPantera / 左からテリー・グレイズ、ヴィニー・ポール、ダイムバック・ダレル、レックス・ブラウン>

 

キッス、ヴァン・ヘイレン、ジューダス・プリーストに影響を受けたパンテラは、当初グラム・メタル・スタイルで、ステージ上ではメンバーがスパンデックス、メイクアップ、ヘアスプレーを着用するなど、イメージ重視のスタイルでした。バンドはアボット兄弟の父ジェリーの別名である "ジェリーエルダン" が作ったメタルマジック・レコードと契約します。ジェリーはこの時期、バンドのマネージャーとプロデューサーも兼務しています。パンテラはダレルが16歳の時、1983年に1st Album『Metal Magic(メタル・マジック)』(1983年)をリリースします。テキサスを拠点とする音楽雑誌『バディ』の1983年11月号のレビューでは、ダレルのギターソロは「発言と適切な応答が交互に繰り返される音楽的思考の古い理論が無視され、何が起こるべきかというプレイヤー自身の概念を権威的に伝えることに取って代わられるという非対称な傾向がある」と意味不明なレビューをされています

 

<脱退前のテリー・グレイズ>

 

パンテラは1984年に2nd Album『Projects in the Jungle(プロジェクツ・イン・ザ・ジャングル)』(1984年)、1985年に3rd Album『I Am the Night(アイ・アム・ザ・ナイト)』(1985年)をリリースしました。この頃、アボット兄弟はMetallica(メタリカ)やSlayer(スレイヤー)などのバンドを聴き始めます。ダレルは特にメタリカの『Ride the Lightning(ライド・ザ・ライトニング)』(1984年)に魅了されました。グレイズは、アボット兄弟がより重いサウンドに移行しようとすることに不満を持っていて、メタリカの曲のようにギターがメインのバンドになるのも好きじゃなかったと後に語っています。この対立は契約上の問題とともに、1986年の脱退につながります

 

<左からダイムバック・ダレル、ヴィニー・ポール、レックス・ブラウン、下からフィル・アンセルモ>

 

1986年後半、グレイズは脱退し、オーディションに招待したフィル・アンセルモをボーカルとして加入させます。この新しいラインナップは、一時的にGold Mountain Recordsと契約しましたが、Metal Magic Recordsから4th Album『Power Metal(パワー・メタル)』(1988年)をリリースしました。ダレル曰く、「ゴールド・マウンテンは俺らのスタイルを変え、ボン・ジョヴィのようにしたかったんだ、それはダメだろ」。アンセルモは『Power Metal』の歌詞を一切書いておらず、バンドはまだグラムメタルから距離を置く過程にありましたが、このアルバムはスタイルの変化が見て取れます。ブラッドリー・トレアーノによる回顧的なAllMusicのアルバムレビューでは、「ダレルのスピーディーなリフはバンドサウンドのより魅力的な要素になった」と述べられています。ブラウンは1988年のインタビューで「ダレルは最初からずっとあのリフの塊だったんだよ。でも今、フィルがバンドにいることで、リフの上にオカマのシンガーが乗るのではなく、フィルによってリフは完璧になったんだ!」と語っています

 

<ステージネームを Diamond Darrell から Dimebag Darrell へ >

 

ダレルは、『Vulgar Display of Power』のリリースまでに、生涯維持することになる外見に変身していました。彼は、染めたあごひげ、剃刀のペンダント(Judas Priestの『British Steel』へのオマージュ)、カーゴショーツとノースリーブシャツを身に着けていた「Diamond Darrell」はもはや自分のイメージやサウンドに合わないと感じ、ダレルは代わりに「Dimebag Darrell」というステージネームを採用しました。この名前はもともとアンセルモによって作られたものです。それはダレルが、たとえ大麻を無料で提供されたとしても、一度にダイムバッグ(10ドル相当のスラング)以上を受け取らないことに言及しており、ダレルは大麻を手にして捕まりたくなかったようです

 

 

Dimebag Darrellのギター関連

 

Dimebag Darrell(ダイムバッグ・ダレル)は、正式なギターレッスンを受けていませんが、フィンガリングやチョーキングまでもが全てクラシックスタイルで演奏しています。5、6弦がクラシックスタイルなら理解できますが、全部の弦となると大分不思議です。ネック握りこむスタイルで弾く方が楽なので、もしかしたらかなり手が小さかった可能性があります

 

<Washburnの宣伝広告 Randallのソリッドステートアンプ WORHEADをバックにポーズを決めるダイムバック・ダレル>

 

メインギターはDean(ディーン)のML、Dean From Hell(ディーンフロムヘル)でギター大会での景品でした。しかし当初はあのブルーの稲妻カラーではなくマルーンカラーでした。友人とギターを交換した際に友人が改造したものです。ブリッジをフロイドローズ、ロックナット式、ピックアップはビル・ローレンスL500に交換されます。ダイムバッグに戻ってきた際には景品のギターだと気付きませんでした。その後、ダイムバッグのシグネチャーギターになり、Dean from Hell(ディーンフロムヘル)と呼ばれるようになります(Sludgeheadの店頭にも90年代のDean From Hellが展示されてます。これはプロショップでダイムバッグモデルと同様のレリック加工が施され、ビンテージのキッスのステッカー、ヘッドには鉄板が組み込まれてます)

またギターアンプも真空管アンプではなく、Randallのソリッドステートアンプ WORHEAD(ウォーヘッド)を使用しており、あの冷徹なサウンドの秘密はここら辺にありそうです

 

 

Phil Anselmo(フィル・アンセルモ)

 

Philip Hansen Anselmo(フィリップ・ハンセン・アンセルモ)は、Pantera(パンテラ)、Down(ダウン)、Superjoint(スーパージョイント)などのリードシンガーとして知られるアメリカのヘヴィメタルミュージシャンです。彼はHousecore Records(ハウスコアレコード)のオーナーでもあります

 

 

アンセルモは、メタル史上最も偉大なフロントマンの一人とみなされており、彼はアニメの主人公的で、まさにパンテラの楽曲のテーマを象徴するようなマッチョ的な態度をとることで有名です

 

 

バンドでのキャリアの初期、アンセルモの発声スタイルはジューダス・プリーストのRob Halford(ロブ・ハルフォード)のようなヘヴィメタルのヴォーカリストからかなりの影響を受け、フルヘッドボイス(ハイトーンボイス)で歌っていました。しかし、その後、彼はより低い咆哮ヴォーカル・スタイルをとり有名になります

 

<道化野郎のフィル・アンセルモ>

 

アンセルモは1968年6月30日にルイジアナ州ニューオーリンズで生まれ、デンマーク、イタリア、フランスの血を引いています。ルイジアナとテキサスの多くの学校に通っていましたが、最後の学校はニューオーリンズ郊外のメタリー市にあるグレースキング高校で、12年生の時に中退しています。アンセルモの父、フィルはメタリーでアンセルモズというレストランを経営していましたが、ハリケーン・カトリーナの後に閉店します。アンセルモは様々なインタビューで、子供の頃は「クラスの道化野郎だった」と語っています

14歳のとき、アンセルモは妹とその友達を怖がらせるために、シートとマスクを使って偽物のモンスターを作り、それからろうそくで煙を出すというアイデアを考えます。しかし、ろうそくがガスヒーターの前にあったため、周りのものがすぐに燃え上がってしまいました。アンセルモは、鍋やフライパンで頑張って消火しましたが、手に負えなくなります。この火事で、両親の寝室の入り口と自宅の廊下が燃やされてしまいました

またアンセルモは10代の頃、義父とエビ捕り魚船で働き、男がカサゴに毒殺されたのを目撃したと主張しています

1981年、アンセルモは最初のバンドであるSamhain(サムヘイン)を地元の友人たちと共同で結成し、ボーカルとギターを担当します。1985年、彼はRapid Phaze(ラピッド・フェイズ)というバンドに参加し、後にアンセルモが書いた曲の一つにちなんでRazor White(レイザー・ホワイト)と改名します。この頃、アンセルモは音楽活動に専念するために高校を辞めます。バンドで約1年以上活動した後、彼はバンドの方向性に不満を持ち、他の選択肢を模索し始めます

 

 

そして、弱冠19歳でパンテラのオーディションに合格し、80sハードコアや、ハードコアパンクマニアのアンセルモによりパンテラは激変します。パンテラはすなわちアンセルモでした

 

 

90年代から2010年くらいまでのアンセルモは本当にカッコ良かったです。ファッションセンスも抜群で、NirvanaのKurt Cobain(カート・コバーン)やPearl jamのEddie Vedder(エディ・ヴェダー)にも匹敵します

 

<フィル・アンセルモとダイムバッグの長年のガールフレンドであるRita Haney(リタ・ヘイニー)>

 

フィル・アンセルモは、「ホワイト・パワー」と叫び、ナチスの敬礼をする姿が映し出された物議を醸したダウンのライブ映像について、「バックステージで白ワインを飲みすぎたせいなんだよ」とコメントしました。しかし、マシンヘッドのロブ・フリンはアンセルモの行動を非難するビデオメッセージを投稿し、ショーの夜、バックステージで白ワインを見なかったことを言及しました。しかし、実際にその証拠があることが判明します。アンセルモと一時期険悪になっていたダイムバッグの長年のガールフレンドであるRita Haney(リタ・ヘイニー)がInstagramに写真を投稿します。それはアンセルモが楽屋で白ワインのボトルを持っているものでした。ただ、事が大きくなり、その行動について正式に謝罪します。アンセルモは、以前パンテラ関連のもので南軍旗の使用を禁止しています。パンテラのメンバーは「レイナード・スキナードの大ファンだっただけなんだ。深い意味なんてない。だから禁止したんだ」と述べています

 

彼は長髪のサイドをシェイブするMohawk Style(モヒカン刈り、日本でのツーブロックとは違い後ろ髪は刈り上げないモヒカンスタイル。元MetallicaメタリカのJason Newsread(ジェイソン・ニューステッド)も有名)をメジャーにした一人です

 

Pantera - The Art Of Shredding (Live 1990 HQ)

(アンセルモのモヒカンスタイル、サイズオーバーのハーフパンツにコンバースのハイカットが最高にかっこいいです)

 

Pantera - Psycho Holiday (Official Music Video)

(アンセルモはハーフカットのデニムパンツにネルシャツをスカートのように腰に巻く90sスタイルで超かっこいいです)

 

Pantera - I'm Broken (Official Music Video)

(アンセルモは頭髪は完全にシェイブして、ハードコアスタイルに。アンセルモのライブでのモンキーダンスによる慢性的な腰痛についての曲)

 

Pantera - Revolution Is My Name (Official Music Video)

(パンテラの最終形態ソング。過剰にブラック・サバス意識した曲作りになっていますが、ダウンのようなまんまスラッジ・ドゥームではなく流石の仕上がりになってます。アンセルモも長髪で、サイズオーバーTeeにサイズオーバーのアーミーパンツをカットオフしていて、コンバースではなくハイテクスニーカーを合わせたら現在のストリートスタイルにも通じるものがあります。ビデオの作りもカッコよく、サバス・ブラディー・サバスのビデオ風もあり、Van HalenやOzzy、ジョン・レノン風も出演していて最高です)

 

House of Shock 25th Anniversary Looking Back on History VH1 Rockshow

(アンセルモは数千本のホラー映画の膨大なコレクションを所有し、ホラー映画とホラー文化に関する百科事典的な知識を持ってます。アンセルモはハロウィンをテーマにした「House Of Shock(ハウス オブショック)」というアトラクションを始めます。当初はJay Gracianette(ジェイ・グラシアネット)の裏庭で始まったが、後にニューオーリンズ郊外の大きな倉庫に移され、300人以上のボランティアが働く体験型のお化け屋敷に改造されます。このアトラクションはニューオーリンズ小児病院、教区警察防弾チョッキ基金、グレーターニューオーリンズ乗馬リハビリテーションセンターへの寄付金を集めています。 アンセルモはスケジュールが許す限りパートタイムの役者を演じてましたが、もうハウスオブショックには関わっていないそうです)

 

Alice In Chains feat. Phil Anselmo & Duff McKagan - Would? - Dedicated to Layne and Dimebag Darrell

(現在のアリスインチェインズを考えると、アンセルモはアリスインチェインズに参加がよかったんじゃないかと思っりします)

 

Down - On March The Saints [Official Music Video]

(髭なしパッツンの長髪でも超カッコいいDownのアンセルモ。パンテラのポップさは微塵も感じさせられないSludge doomサウンドでのダイムバッグ追悼ソング)

 

PHIL ANSELMO interview: new Superjoint record, Phil & Bill project, Satan or farts, more!

(メタルキッズからインタビューを受けるアンセルモ。彼の人柄が伺えますね。最後の記念撮影も微笑ましいです)

 

正直、微妙な再結成ですが、約20年ぶりにライブが観れるので、それをただ楽しみましょう。また楽しいはずです

Sludgeheadでは、PanteraのヴィンテージTシャツやDownのTシャツ、フィル・アンセルモが着用していたマイク・タイソン、スレイヤーのヴィンテージTシャツを取り揃えております。この機会に是非!

 

 1999 Very Rare Vintage Pantera Tee

 

Pantera "The Extreme Steel Tour 2001" Tee

 

Down Tee

 

The Rematch Tyson June 28 Tee

 

Evander Holyfield vs Mike Tyson Tee

 

Slayer CRIMINALLY INSANE Tee

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