Mike Tyson

Mike Tyson

Mike Tysonは、元WBA・WBC・IBF世界ヘビー級統一王者の元プロボクサーです

 

 

< Mike Tyson >

Mike Tyson (マイク・タイソン)のイメージは、多くの人があまり良いものではないと思っているでしょう
素行不良で暴力的、頭が悪そうで凶暴。しかし、彼を知るほどその考えは覆されます

 

 

< Teen Mike Tyson >

幼少期は中流階級の子供でしたが、両親の離婚により、当時のアメリカ合衆国の中で最悪のゲットーと呼ばれていたブルックリン区ブラウンズヴィルでの生活を強いられていました
厳しい生活、そして、毎日続くいじめに耐える、ハトが大好きな少年がMike Tysonでした

内向的な性格や、大きな近眼鏡を着用していたことから、いじめっ子達に嘲笑され、いじめの対象となり小学校1年生で学校に通わなくなり、街をふらついている時に絡まれた不良少年グループの使い走りとなります

しかし、あるギャングの子供に、Tysonが大切にしていたハトの首を引き千切られ、怒りが爆発し、ギャングの子供を殴り倒してしまいます
そして、自分のパンチ力の強さに気づき、ハトが大好きな少年が、麻薬の売人や強盗を行う悪人へと変わっていってしまいました

 

 

< Mike Tyson , Bobby Stewart >

そこからは、多数の窃盗等により12歳までに51回逮捕され、NY州で最悪の少年が収容されるトライオン少年院に収監されます。そこには更生プログラムとしてボクシングがありました。腕に自信があるTysonはトレーナーを叩きのめしてやろうと考えます。

しかし、その担当教官がBobby Stewart(ボビー・スチュワート)でした。Bobbyは、全米ゴールデングローブトーナメントのライトヘビー級で優勝する腕を持つプロボクサーです
TysonはBobbyに勝てるはずもなく、逆に叩きのめされ、泣きながらボクシングを教えて欲しいと懇願します。しかし、BobbyもTysonの強さに驚き、Bobbyの知り合いであるボクシングトレーナー名伯楽Cus D'Amato(カス・ダマト)にMike Tysonを紹介します

 

 

< Cus D'Amato >

Cus D'Amatoは、名伯楽として知られるボクシングトレーナーです。Floyd Patterson(フロイド・パターソン)を指導し、1952年ヘルシンキオリンピックでミドル級の金メダルを獲得。その後D'AmatoはPattersonをプロに転向させ、1956年にヘビー級チャンピオンに導きます。21歳10ヶ月で当時最年少のヘビー級王者になります。また彼は、プロのヘビー級タイトルを獲得した初のオリンピック金メダリストになりました。

その後、D'Amatoは、Jose Torres(ホセ・トーレス)を指導し1965年世界ライトヘビー級チャンピオンに導きます。この勝利で、トーレスは史上3人目のプエルトリコ人世界ボクシングチャンピオン、世界ライトヘビー級タイトルを得た初のラテンアメリカ人となりました

 

 

< Muhammad Ali , Cus D'Amato >

そして、Floyd PattersonとJose Torresのキャリアが終わった後、Cus D'Amatoは、比較的無名な仕事をしていました
D'Amatoは、ボクシング業界の、ギャングとの繋がりやパラノイア的に不信感があり、警察へ情報を渡し、ボクシング業界で、つまはじきにされている状態でしたが、チャンピオンを作れる腕を持っているトレーナーであり、Muhammad Ali(モハメド・アリ)とも親交が深く、彼にアドバイス出来る立場でもありました

Bobby Stewartが、D'Amatoの元にTysonを連れて行くと、D'Amatoは「あいつ(Mike Tyson)は将来ヘビー級のチャンピオンになる」と断言します
その時Tysonは12歳か13歳かという年齢でした
D'Amatoは、グローブを頬に密着させ、腕を胴体に引きつけるピーカブースタイルのボクシングを教えます。これでは効率的な攻撃ができないとされ、現在でも一部で批判されています

 

 

< Cus D'Amato , Mike Tyson >

D'AmatoとTysonの関係ですが、D'Amatoは、自分の孫ほど年齢の離れているTysonにボクシングを教え始めます。
「とにかく毎日ジムに来い。そうすれば必ず強くなる」と言い続けました。
Tysonは最初、腹筋が5回しか出来なかったそうです
そしてTysonが16歳の時に母親が亡くなり、D'Amatoは身寄りの無いTysonを守るため彼の法的後見人になります
Tysonが学校で悪さをすると、父親同様に謝罪に向かいました
有名人のD'Amatoが謝りに来たら先生たちもびっくりしたでしょう

 

 

< Mike Tyson , Cus D'Amato , 内縁の妻 Camille Ewald (カミラ・ユーワルド) >

色々な場所、国からジムに稽古に来るボクサーたちにも、「自分の妻と同様にTysonに接しないとジムに入ることはできない」と黒人であるTysonへの人種差別も徹底的に禁止しました
そういうことの積み重ねによりMike TysonはCus D'Amatoを心の底から尊敬するようになります

練習試合で、他のジムのトレーナーに
「そんなチビがうちのボクサーに勝てるわけがないだろ」と、揶揄されました
身長が2mを超えるボクサーがゴロゴロ居るヘビー級の中で、かなり小さい身長178cmのTysonでしたが、D'Amatoは
「俺はそのチビがお前のところのボクサーを叩きのめすところを見に来たんだよ」と言い返します
それを聞いていたTysonの闘志に火がつき、2m超えのボクサーをボコボコにしてやりました

 

 

< Cus D'Amato , Mike Tyson >

Tysonは、近年D'Amatoについて、
「当時D'Amatoの兵隊でいられる事に誇りを持っていた。D'Amatoのために絶対に勝ってやると。D'Amatoに課されたトレーニングメニューを毎日早朝から寝るまでこなし、寝る時はボクシングのビデオを見ながら眠りについていたんだ」と語っています
ただ、昔からD'Amatoは業界人マネージャーにボクサーを引き抜かれていたので、夜な夜なTysonの部屋に来て「お前もいつかは自分の元を去ってしまうだろうな」と話していました
その話を聞いていたTysonは心底悲しかったそうです
TysonはただD'Amatoを喜ばせたかっただけなのです

 

 

< Teddy Atlas >

D'Amatoはボクサー同様に名トレーナーも輩出しています
今はテレビコメンテーターで有名なTeddy Atlas(テディ・アトラス)とD'Amatoのジムの元プロボクサーのKevin Rooney(ケビン・ルーニー)です

D’Amatoは当初、Tysonのチキンハート(弱虫)を見抜き、Tysonを凶暴、凶悪なボクサーに育てようとします
Atlasがセコンドについた試合でも、試合前にTysonは恐怖で泣いてしまいます
AtlasがTysonを抱きしめ、なだめて試合に行こうと連れて行きますが、その試合へ向かうTysonのシャドーボクシングは、相手が恐怖してしまうほどの迫力があり、泣いていたTysonと同一人物とは到底思えません
また、その試合に勝ってD’Amatoへの報告の電話をするTysonが無邪気で可愛いです


Teddy Atlasの妹と仲が良かったTysonは、Atlasにその関係を勘ぐられて、Atlasに脅されます。Atlasは38口径を持参し、Tysonに詰めよります。Tysonも半分冗談だと思い、撃てるもんなら撃ってみろよと言ったところ、Atlasは、Tysonの耳のそばで引き金を引きます
Tysonは死んだと思ったそうです

 

 

< Cus D'Amato , Teddy Atlas >

D’Amatoの妻はこの事件に対して激怒し、Atlasは警察に引き渡すべきだと言いますが、D’Amatoはそうしませんでした。
Atlasは、左頬にナイフで切られた400針もの傷跡がある不良少年で、D’Amatoの指導でアマチュアボクサーを経験し、怪我によってトレーナーに転向した後、Tysonを4年間トレーニングしました
刑務所に数回服役していたので、この事件が明るみに出ると、また刑務所生活になってしまうので、D’AmatoはAtlasをただ解雇するのみでした

 

 

<Mike Tyson , Kevin Rooney >

Atlas解雇後は、D’Amatoの正当な弟子でピーカブースタイルを継承しているKevin RooneyがTysonのトレーナーとなります
彼はD’Amatoのスタイルに奇妙な動きをプラスしバージョンアップさせました
Tysonの全盛期は、ヘビー級チャンピオンになる前と言われていて、そのスタイルはピーカブーのみならず、ボクサースタイル、アウトボクシング、ファイタースタイルとなんでもこなせています
スリップしてからの64(D’Amato式ナンバリングシステム=体の部位にナンバーをつけて、トレーナーが数字を叫ぶとその通りに撃ち抜く技。64だと右ボディフックからの右アゴアッパー)が得意でした。
ロレンゾ・ボイド、ジェシー・ファーガソン、ホセ・リバルタは64でノックアウトされています

 

 

< Mike Tyson , Cus D'Amato >

Tysonはアマチュアで戦績をあげ、1985年3月に18歳の時にプロに転向します。そして同年11月にCus D'Amatoが亡くなります。これによりTysonの人生が狂ったという人が多いです。凶暴凶悪なボクサーとしてのし上がるのはいいですが、チャンピオンになってからの人生については教わる事ができなかったからだと想像出来ます

 

 

< Trevor Berbick , Mike Tyson >

1986年にTysonは、Trevor Berbick(トレバー・バービック)と初ヘビー級タイトルマッチを行います。BerbickはMuhammad Aliを倒してチャンピオンになった男です
Aliは負けてしまったときにD’Amatoに電話でその事を報告します。D’AmatoはTysonに電話を出させて、Aliと話させます。Tysonは自分のヒーローが負けてしまった悔しさで泣きじゃくり、リベンジして勝つ事をAliに誓います

 

 

< Trevor Berbick , Mike Tyson >

頭一個以上の身長差と体格差のBerbickを、スピード、世界一のパワーヒット、芸術的なディフェンステクニック、亡くなった父親代わりのD’AmatoやヒーローのAliの思いを背負い、一方的な試合展開で圧倒、KO勝ちをおさめます

試合終了後のD’Amatoへの言葉は今でも涙を誘います

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